「そーいやキーセって、いつこっちに落ちてきたんだ?」
「昨日」
「え、昨日!? まだ二日目っ!?」
「そう。だから本当に、わからない事だらけなんだ」
驚くクローツに、私は重々しく頷いておく。
昨日の異世界生活初日は、非常に濃い一日だった。
まず、イードとファーシアに保護されて神殿のある最寄の街へ向かう途中、時間が過ぎても太陽の位置があまり移動しないのを不思議に思い、時間単位を訊ねた。
その結果、1分は90秒、1時間は90分、1日は30時間、1ヶ月は90日、1年は16ヶ月で、日数にすると1440日という、驚愕の答えをもらった。
1秒の長さすら、地球の1秒とは微妙に違う気がする。
こうなるともう単位が違いすぎて、私の頭では、地球時間に換算なんてできないと、計算自体を放棄した。
……そもそも、比べても無意味だし。
その後、神殿についたはいいものの男になってしまい、それを口止めして回り、偽名を考えて戸籍登録を申請し、魔法素質を調べてもらって。
魔法が使えるとわかって、冒険者になるのに必要な経費を計算。生活支給金の額から考えて、養成学校にも通学可能というファーシアのアドバイスを元に、冒険者になると決断した。
(そんなに急いで進路を決めなくてもいいのではと神官長のグラン様から心配されたが、無駄に日々を費やして悩むよりは、まずやりたい事に挑戦して、やってみて駄目だったら次を考えればいいと、私は大して悩まずに即決した)
夕方、イード達に養成学校まで送ってもらって、学長であるオリバー様へ事情の説明をした上で入学手続きをしてもらい、夜は寄宿舎の空き部屋を貸してもらって、イードとファーシアもついでに一緒に泊まって、三人で話をしてから寝た。
二日目。
早朝、冒険生活に戻るイード達を見送った後、寄宿舎内に併設してある食堂で、学校が始まるまでは下働きとして皿洗いをして働くかわりに、その間だけ食費を免除してもらえるように、気合を入れて交渉した。
お金は少しでも節約しないと。
日々の生活は勿論、冒険者資格試験にもお金が掛かるし、武器や防具といった装備だって整えないといけないし。お金はいくらあっても足りない。
食堂で朝食を食べてから皿洗いをして、空いた時間に基礎体力をつけようと庭でストレッチや走りこみをしていたところで、学長の使いから呼び出された。
学長室では、神殿の手続きが終わったから、身分証明となるカードを受け取りに神殿に行くよう言われた。
そして、神殿までの案内も兼ねて、担当官になるクロス教官を紹介してもらい、秘密のフォローをお願いした。
学長室を退席した後、クロス教官に内密の取引を持ち掛けられるというアクシデントもあったが、お互いに利害が一致して取引を了承し、話し合いは無事終了。
昼食後、きっちり皿洗いを終えてから、クロス教官の案内で神殿へと向かったのだ。
神殿でカードを受け取る。
『トロンカード』と呼ばれるそれは、身分証明書とキャッシュカードと携帯電話と発信機と時計と磁石と地図といった様々な機能を兼ね備えた、とても便利なカードだ。
普段は腕輪になっていて腕から外れない仕掛けになっているし、カードを具現化しても腕輪の台座は残るから、うっかり盗まれる心配もないし、もしカード状態で盗まれても、カード機能をOFFにすれば、カードが手元になくても、すぐに腕輪に戻せる機能がついているという。
魔法と科学が融合した技術があるこの世界は、地球より科学が発達してる部分が多々ある。
トロンカードを発行してもらってる最中、コーセルさんから、「キーセさんが口止めを忘れていたようですので、泉の番だった神官にも、きちんと口止めしておきましたので、どうぞご安心を!」と、嬉々として耳打ちされ、内心疑ってしまった事に心の中で謝罪しつつ、彼女の気遣いに感謝した。
そして神殿を出たその足で、今度はクロス教官の実家へ。そこでクローツを紹介されて、今に至る。
……地球出身の私からすると、この世界の一日は、とんでもなく長い。
色々慌しくて内容が濃いのもあるけれど、それよりも単純に時間が長い。なにせ、1分は90秒、1時間は90分、1日は30時間なのだから。
朝食から昼食までの時間だけで体感では一日経ったんではと思うくらい、本当に長く感じた。
時間に余裕があるからこそ、皿洗いの合間に走りこみまでやっている。冒険者に必要なのは、根性と体力と健康だ。
私は元々アウトドアが大好きで、中高一貫校ではずっと、「アウトドアクラブ」という部活に入って、山菜採り、キャンプ、登山、魚釣り、キノコ採り、木の実拾い、スキー、かまくらで鍋、薪割り、アウトドア料理の作り方などなど。とにかく色々体験しまくった。
私が産まれた時に「輝ける星のような人となれ」という由来の名前を付けてくれた両親は、小学校の半ば頃に関係が冷えて、あっさりと離婚した。私をどちらが育てるか、お互いに押し付けあって怒鳴りあっていたのを知っている。どちらももう、私がどんな大人に育つか見届けたいと思うだけの愛情が涸れていた。
結局は養育費を父が出す条件で母に引き取られたが、父とはその後、一度も顔を合わせていない。何度か連絡を取ろうとしてみたけれど、一度も電話に出なかったし、手紙の返事もなかった。
ただ、若い女性と再婚したという噂だけが耳に届いたくらいだ。
母の連れ子となった私は、母が再婚してからは義父に疎まれ、共学の中高一貫校に入ってからは、ずっと寮暮らしだった。家に帰っても居心地が悪いので、出来るだけ帰らずに済ませていた。
そんな私にとって、一番の楽しみは部活動だった。自然に触れている時だけ不思議と心が安らいだ。
高校卒業後も、農林系大学の付属寮で暮らしていたし、寮暮らしは年季が入っているから、ここの寄宿舎にも抵抗はない。……これまでとは一緒に暮らす性別が逆という事実だけが問題だ。
私にとって、この世界に落ちたのは不運ではなく、人生最大の幸運だ。
元の世界への未練などない。もし帰れる方法があると言われても、私は絶対に帰らない。
身内だって、娘がいきなり失踪した(という扱いになっているだろう)なら、世間体を気にして表面上は哀しむフリくらいするだろうけど、本気で哀しむ人なんていないと断言できる。
だから親不幸とも思わないし、唐突にいなくなった事に罪悪感も感じない。
折角、理想の世界に来たのだ。夢に向かって全力で取り組みたいし、空いた時間は有効活用したい。
男になったのは予想外とはいえ、それも冒険者として生きるのに役立つと思えば、プラス材料になり得る。後は私自身がこの身体に慣れ、周囲から男と扱われる事に慣れるだけでいい。
学校が始まるまでには、まだ20日も時間がある。
学長は、「コースの新規募集が一ヶ月も二ヶ月も先なら途中編入すればいいですが、たった20日で貴方の希望する基礎コースの新学期が始まるのですから、そこから皆と一緒に学んだ方が良いでしょう」と、焦る私をのんびりと宥めた。
……この世界の人々にとっては20日は短いのかもしれないが、私には充分長い。
基礎体力をつける以外にも、とにかく時間が空けば何かしていたい。覚えなければならない知識は山とあるのだ。
ふと、14歳のクローツなら、子供向けの本を持っているんじゃないかと気づく。
「そうだ。何か子供向けの、わかりやすい本でも貸してもらえないかな?」
「それなら、小学校の教科書が良いと思いますよ。クローツはつい先日卒業したばかりだから、確かまだ教科書を寄贈していないよね?」
教官が助言してくれる。確かに小学生向けの教科書なら、基礎知識を知るのに丁度良さそうだ。
「うん、まだ家にある」
「それを貸してほしいんだけど」
「いーよ」
クローツはあっさり了承する。兄と違って無償で提供してくれるらしい。心根のいい子だ。
これなら取引を抜きにしても、良い友人になれそうな気がする。
幸いにして、『理想の泉』効果で言葉が通じるのみならず、文字の読み書きさえ問題なく出来る。
日本語じゃないのに日本語並には理解できるという現象が奇妙で仕方がないが、「ファンタジー世界だから」と、強引に自分を納得させている。
文字が理解できるのにメリットはあってもデメリットはない。有難い効果である。
「キーセ君、この世界では妖精……、とある事情から、環境問題に厳しい措置が取られているので、資源は大事に扱います。教科書も大切に扱って、必要がなくなったら、きちんと小学校に寄贈してくださいね」
「妖精?」
「説明すると長くなります。教科書に書いてありますので、暇な時にでも読んでください」
「わかりました」
この人実は教官のクセに教えるのに向いてないんでは、と疑いつつも、表面は従順に頷いておく。
「教科書9年分全部だと、持って帰るの重いだろーし、後でまとめて、学校寮のキーセ宛てに送っておくからなー」
「ありがとう、クローツ」
小学校に通う年数は9年なのかと、関係ない事に地味なカルチャーショックを受ける。
クローツが14歳で卒業したという事は、5歳で入学、14歳で卒業という9年方式になるのか。
地球での保育園レベルから中学校レベルまでが全部、こちらの小学校で学ぶ範囲とされているのかもしれない。
(あれ? こちらの一年の長さを考えると、生きてきた時間だけ見れば実は、クローツの方が、私より上? ……そのワリに、クローツの外見は14歳と言われて納得する見た目なんだけど)
泉効果か人種の違いか。深く考えても混乱するだけなので、こういう複雑な問題はすべて棚上げしておく。
もっと生活に身近で、早く身につけねば困る知識は、他にいくらでもあるのだから。
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