「なんだ、不吉眼か」執務室まで出向いた僕に対するエクスカイル殿下の第一声はそれだった。
これまでろくに話した事もなかったとはいえ、仮にも兄に対してその物言い。驚いて、同時に僕は、これまでの自分に対して呆れすら感じた。
僕は知らず、周囲に無関心になってしまっていたらしい。こんなにも個性的な弟の性格すら知らずにいたのだから、相当な重症だ。
幼く小さく愛らしいその容姿に反して、値踏みするように僕を見るエクスカイル殿下にシュシュが怯え、僕の肩からポケットの中に逃げ込む。
「さっさと仕事せんか。
無能な阿呆は石にするぞ」
「……君は、僕の眼が怖くないのかい?」
追い出そうとするでもなく、怖れ罵る訳でもなく、ただ仕事を促す彼に驚いて、僕は率直に訪ねていた。
それに対する答えは、とても簡単で、明瞭だった。
「僕は何も恐れはしない。
何故なら僕が偉大だからだ!」
「そ、そう。それは凄いね」
「当然だ!!」妙な雰囲気に気圧され、世を拗ねる気すら削がれて、僕は、
(まあ、その内クビになるだろう)
という適当な気持ちで、エクスカイル殿下の補佐を始めた。
彼が飽きて長官の座を手放すのが先か、僕を不要と切り捨てて、他の補佐を選ぶのが先か
――――。
いずれにせよ、財務副官という役職についた当時は、こんなにも長期間、その補佐役を務める事になるとは、まるで予想していなかったのである。
彼はとても短気でせっかちで、何かあるとすぐ周りを石化して暴れ回る。そうなるともう、誰にも止められない。
そんな中、確かに僕だけは精霊の加護のおかげで石となる事はなかったから、時に宥め、時に煽て、時に叱りつけながら、幼い長官と向き合ってきた。
要は慣れだ。後は、忍耐とスルー技能か。
そんなこんなで、彼の対処に多少は慣れてきた頃、ヒースが留学から帰ってきた。
久しぶりに会う友人に、色々と言いたい事はあったのに、何を言えばいいのかわからなくて。言わなくてもわかってくれるヒースに甘えつつ、長官に振り回されつつもそれをどこかで楽しみつつ、日々はゆっくりと過ぎていった。
下の兄弟を個々として見る余裕ができたのは、そんなふうになってからで、近年に至ってようやくだ。
情けない話だが、それまで僕は自分の事で手一杯で、兄弟がどんな境遇に置かれ、どんなふうに育っているのか、ろくに見えていなかったのだ。
そして気がついた時には弟妹たちは、既に独自の性格を築きあげており、僕の手に負えないくらいの個性を確立をしていた訳だ。
まあ僕も、特定の相手以外とはろくに喋った事がなかったし、慣れない事続きで、過労や心労を溜め込んで倒れたのも、今回が初めてじゃない。
ただ、以前はとにかく仕事優先だった長官は、僕が倒れる度に呼び出されるヒースから厳しく叱られて以来、こちらの体調を気遣うようになった。
「さあ、仕事始めだぞ! 覚悟はいいか不吉眼!!」休暇が終わり通常の勤務に戻ると、長官が握りこぶしで元気に叫んだ。
「式典は出なくていいの? 長官」
「そんな退屈なもん、一々出とられるかっ!」「王族の仕事だけど」
王城ではまだ連日、式典やら舞踏会やらの真っ最中で、王族はそれに出席しなければならないはずなのだが。
現王家の子供たちは個性的すぎて、まともに式典に参加するような神経の持ち主の割合が少ない。
僕はどうせお呼びが掛からないから気楽にしていられるけど、長官は本来なら式典に参加しなければならないのに、財務省の仕事を優先してばかりで、そちらに出た様子がない。
「うーん。キーリ殿下は研究所に篭ってばかりで出席を拒んでいるというし、アルフォンソ殿下は問題外だし。ラシェルリンゼ殿下は気難しくて公の場に姿を見せないし。となれば、王族としての務めを果たしてるのは三人だけか」
「三人もいれば充分だ。あのナルシストが式典用のドレスを何着も新調したせいで、一体どれだけ予算を喰ったか!! 着飾るのも王族の仕事だとか国家の威信がどうだとか、もっともらしい理由をつけて散財しおって!
ああ、忌々しい!!」
税金の無駄遣いが大嫌いな長官が、不機嫌に言い捨てる。
社交が苦手なジークフリード殿下は、妃に強引に引き摺られて出席させられているはずだ。
注目を集めるのが好きなセレナ殿下は、誰に言われるまでもなく、自分から出席するはず。
臆病なカロン殿下は、野心家である母のカルサーナ妃に逆らえず、出席を余儀なくされていそうだ。同腹の弟たちが母の言う事を聞かないものだから、その分の皺寄せまで彼が負わされている。
……それにしても、こんな状態でいいのだろうか。
王の年齢からいって、もう、いつ次期国王の選定に入ってもおかしくない時期だというのに、候補者たちは皆好き勝手に振舞って、王族らしい務めをろくに果たしていないような気がするのだが。
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