「ここはラエルシードだ。召喚陣から強大な魔力の糸が伸びてきておまえを絡めとり、こちら側に引き摺られてきた。僕は糸を切り離すのが間に合わなかったから一緒に来た」
半ば予想通りの師匠の答えに、それでも私は愕然とした。
垓界ラエルシード。
私たちの住む世界に比べて非常に魔力が濃い世界。
強い魔力と高い知能を持つ獣たちの楽園。
たとえ魔術師であっても、本来なら訪れる機会など滅多にない、異なる法則によって成り立つ地。
召喚術で逆にラエルシードに引き込まれるなんて、これはとんでもないアクシデントだ。
「息苦しいのは、この世界に満ちる魔力が僕らの住む世界とは質も量も違うからだ。魔力が少ない身では、結界を保たなければ危うい」
背に触れている師匠の手が、私の命を支えている。
それは、手が離れてすぐに息苦しくなった時点でわかっていたけれど、改めて考えるととても恐ろしい事態だった。
この世界では、私一人では、呼吸する事さえ儘ならないのだ。
(私だって、普通の人に比べれば、魔力は強いはずなのに)
自分の力のなさを痛感させられる。足手纏いにはなりたくないのに、ただここにいるだけで、既に、手助けを受けている状態なのだ。
「申し訳ありません」
「いや、あまりにも不測の事態だ、おまえの責任ではない。それにおまえ一人連れていかれるよりは、僕が一緒に来れた分だけ、状況はまだマシだ」
こんな緊急事態に陥っても、師匠はあくまでも落ち着いていた。普段は短気で怒りっぽいのに、今は冷静な面持ちで周囲を隙なく窺っている。
「落ち込んでいる暇はない。来るぞ」
「!」
内心で自分に落ち度があったのではと考え込んでしまったのを窘められ、私はハッとして周囲に意識を配った。
師匠の表情は厳しかったが、それはこれから起こるだろう事態に備えてのものだった。私は気持ちを切り替えて、服の内側から武器を取り出し装備する。
師匠が毅然と空を睨む。その視線を追って、私も近づいてくる気配を知った。
遠く彼方の空から、段々と白っぽい『何か』が近づいてくる。空を飛ぶ……鳥? それともまさか、竜?
「あれが恐らく、おまえをラエルシードに引き込んだ張本人だ」
油断するな、と小声で囁かれ、私は動きやすいように姿勢を整えた。
「絡んだ糸はもっと奥へ連れ込みたかったようだったが、始まりの森を出ない内に僕が糸を断ち切って、ひとまず森に降りたんだ。あの糸の引き手が、切れた先を辿って来たようだ」
私が界を渡る衝撃で意識を失っていた間も、師匠はあれこれ手を打ってくれていたようだ。もし私一人だったら意識を取り戻す間もなく、目的地まで連れ去られていただろう。その素早い機転は流石というより他ない。
「ではここは、始まりの森なんですね」
「そうだ」
緊張しながら小声で会話を交わす内、初めは点のようだったそれが、次第に形を帯びてきた。それは、私の身長の三倍はありそうな、巨大な鳥の姿をしていた。
私たちの近くに降り立ったその鳥は、全身が純白の羽毛に覆われた巨大な鳥だった。詳しい種類はわからないが、尾が長く優美な曲線を描く体で、美しく、気品や威厳があるように見える。真紅の双眸は猛禽類と違って、柔らかく丸い形をしている。
無論、これが普通の鳥であるはずがない。
このラエルシードに住む精獣で、私を引き込んだ張本人だというのなら、それだけの力を持つ、高位の存在という事。
私は正直、そのあまりにも巨大な姿に畏怖の念を覚え、体が震えてしまった。師匠が背中を支えてくれていなかったら、地面に膝をついていたかもしれない。
声も出せずに立ち竦んでいると、巨大な鳥がふわりと羽ばたきした。その羽が起こす風の強さに、生物としての根本の強弱の差を見せつけられたようで、畏怖は更に強くなる。
「何やら、妾が呼び寄せた者に、予定外の荷物がついてきておるようじゃな」
白い嘴が、幼さを残す少女のような高く澄んだ声で、高圧的に喋った。古風で品のある喋り方だ。
「まさか未熟な弟子を、一人きりでこちらにやる訳にはいきませぬ故」
「ほほ、過保護な親鳥かや」
「過保護とはまた、奇異な事を。このように稀な招きに付き添うのは、師として果たすべき役割でありましょう」
師匠が丁重な言葉遣いで返す。
「油断するな」と警告されたし、すぐにでも臨戦状態になるのかと身構えていたから、私は一見穏やかに会話を交わす彼らの姿が意外だった。
見習いの私には、目の前の精獣がどんな存在なのか、こちらに敵意があるのか、何の目的があってこんな事をしたのか、何もわからない。
ただ、何が起こっても即座に動けるよう気をつけながら、彼らの会話を注視するしかない。
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