死んでしまったのだと、半ば諦めていた。けれど今、こうしてここに生きていてくれたのが嬉しかった。
私はずっとお礼を言いたかった。ありがとうって言いたかった。
たった一度の出会いが、私の人生を大きく変えた。
「娘、手を放せ」
「っ、申し訳ありません!」
淡々と言われて、私は慌てて握り締めた手を放した。
そうしてようやく、状況を思いだす。
目の前にいるのが、かつての恩人であると同時に、「凶王子」アルフォンソ・シアン殿下なのだと繋がる。
王族の手を強引に握るなんて、無礼にも程がある。私は焦って謝った。
ずっと憧れていた恩人と再会できた喜びと、その人が王子殿下だったという事実への驚きで頭が混乱する。冷静になろうと努めても、心はまだ落ち着かない。
「おおやけには、第二王子は病で不在だった。誘拐などされていないという事になっている」
「……それは」
潜めた声で告げられた言葉に、私は息を呑む。
それは、公式には病の扱いだったと言いながら、けれど実際には、誘拐されたのを否定しない言い回しだった。
十年間、王宮を不在にしていた間、この人は、果たしてどこにいたんだろう。
十三年前、人攫いの元から私たちを逃がした時期と、第二王子が病で療養するという噂があった時期が、今考えてみれば、大体重なる。
重なってしまう。
何か、裏に深い事情が隠されているのかもしれない。
もしあの時、本当に王子が誘拐されていたなら、国がそれを伏せて、病だとした理由がわからない。
「王家の闇に触れて始末されたくなくば、余計な事は知ろうとするな」
私の思考を読んだように、アルフォンソ殿下が釘を刺す。
(王家の闇なんて、私の手には追えない)
私は何の権限もない下級貴族の娘で、一介の魔術師見習いでしかない。王家の巨大な権力に立ち向かう力など持たない。
余計な事を知ろうとするなと忠告してきたからには、ヒースやエディアローズ殿下にも、決して他言してはいけないという事。
「詮索するなという忠告ですか」
「そうだ」
すんなり頷く。
あまり遠まわしな言い方を好まない性格なのかと、少し不思議に思う。嫌がらせはとても遠まわしで回りくどいのに。
(気が狂ってると言われているけれど)
その言動が周りからどれ程狂って見えるのか、私は実際には知らない。
それでも、エディアローズ殿下に対する嫌がらせは害がなくて、正直、凶人の行いにはとても思えなかった。
今も、その紫の瞳には知性が宿っていて、気違いには見えない。
(けれどそれも含めて、詮索してはいけないんだわ)
ならば今、私にできるのは一つだけ。
「私はあの時救ってくださった人に、とても感謝しています。貴方はその人にとても良く似ています。
もし、貴方が私の力を必要とするなら、いつでも仰ってください。私は僅かな力しか持ちませんが、誠心誠意をもって、貴方の元へ駆けつけると誓います」
地面に膝をついたまま胸に手を当てて、アルフォンソ殿下にそう誓った。
心からの忠誠を捧げた。
本人だとわかっていながら、遠まわしにしかお礼を言えないのはもどかしいけれど、それよりも、こうしてまた会えたのが嬉しかった。
もし私に何かできる事があるなら、それがどんなに困難でも、この人の為に力を尽くしたいと思った。
彼が本当に狂っているかもしれないという恐怖はなかった。ただその力になりたかった。
私の誓いを聞いて、彼は非常に複雑な表情を浮かべた。
澄んだ紫の瞳に、戸惑うように光が揺れる。
「名は」
「スノウ・シズヴィッドと申します」
「そなたは魔術師ヒースの弟子だろう。もし私が、師を裏切れと言ったならどうするのだ?」
口調こそ静かだが、とても意地悪な問いだった。
私にとっては、恩人であるアルフォンソ殿下も、師匠であるヒースも、裏切れない人であるのは変わりないのに。
それでもどちらかを選び、どちらかを切り捨てろと、そう言うのだろうか?
私はしばし目を伏せて考えてみたが、結局はどちらも選べなかった。だからまっすぐに彼の目を見つめ返して、はっきりそれを言葉にした。
「それは困ります。私は大切な人を裏切れません。……師匠とエディアローズ殿下と私の家族にとって、悪いようにならない範囲でお願いします」
開き直って、真面目な顔をして、決して捨てられないものをつらつら並べていくと、アルフォンソ殿下は、どんどん呆れたような表情になって、やがてお腹を抱えて笑いだした。
「く、くく。はははははっ」
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