私は師匠の馬車で、自宅から王子宮までの間を送迎してもらう事になった。
王宮に単騎で入れるのは軍を除けば一部の上級貴族だけなので、アライアス家の馬車でなければ出入りに手間取るからだ。
王子宮は、それぞれに割り当てられた区画がかなり広かった。
エディアローズ殿下は他に供もいないから、割り当てられた区画の殆どを使用していない。
逆に第一王子は、側仕えの従者だけでなく、王子妃やその侍女もともに暮らしていて、かなりの大所帯だという。
宮内は専門の女官が生活全般を管理しており、エディアローズ殿下の区画にも、彼女たちは毎日、定期的にやって来る。だけど皆最低限の仕事だけをこなして、そそくさと立ち去ってしまう。
住まいが広く立派である程に、孤独がより浮き彫りになる。
お見舞いの品も、藁人形から以外は一つも届かない。他のご兄弟がお見舞いに来られる事もない。
(ここの暮らしはとても寂しい)
貧しくてもあたたかな家庭で育った私には、殿下の心にどれだけの傷があるのかさえ察してあげられない。人気のない回廊を通る度に、それを思い知る。
ふと音楽が聴こえて、私は足を止めた。
辺りを見回すと、木陰に座る人影を見つけた。影になってよく見えなかったけれど、多分、若い男性。
竪琴で奏でられる静かな調べは、「別れの曲」。……死者への手向けに贈られる、鎮魂歌の一種だった。
高熱で寝込んでいる人の近くでそんな曲を奏でるなんて、なんて縁起の悪い。
……鉢植えの花を思いだす。あれが嫌がらせなら、この曲を奏でる竪琴の主もまた、嫌がらせを趣味とする人物だろうか。
(ならもしかして、あそこに座っているのが、第二王子のアルフォンソ・シアン殿下?)
師匠は放っておけと言っていたし、エディアローズ殿下も苦笑するばかりで、兄君の嫌がらせに文句を言うでもなかったけれど。一つ一つは害がなくても、こんな立て続けに嫌がらせを続けられると、精神的に参ってしまうのではと心配になる。
私の身分では、王子殿下に対して文句など言えない。私がここで問題を起こしたら、困るのはエディアローズ殿下やヒース師匠だ。
わかっているから無言で通り過ぎようとしたのだけど、好奇心に負けてもう一度、木陰の人影にちらりと目をやってしまった。
……。
(、あ
――――?)
目が、合った。
(むらさきのひとみ?)
光沢のある白く長い巻き毛に、宝石のように鮮やかな、深い紫色の瞳。
中性的な美貌には、記憶に懐かしい面影があった。
「……あっ!」
……記憶の糸を手繰り寄せるまでもなく、私はその人を知っていた。
忘れられるはずがなかった。
考えるより先に、そちらへと駆け出す。
多分、ものすごい形相で、ものすごい勢いで駆け寄ったんだと思う。その人は驚いた顔で、竪琴を奏でる手を止め、私を驚いた表情で見た。
「どうした、娘?」
「あのっ私っ!!」
間近まで駆け寄って膝をつき、ぐいっとその顔を覗き込む。
左目の目じりに泣き黒子。右手の甲に、斜めに走る刃物の傷。それらを確かめて確信する。決して人違いではないと。
(ああ、やっぱり)
この時私は、不敬だとかそういうのが完全に頭から抜け落ちていた。
というか、目の前のその人が王子殿下だという仮定すら忘れていた。
ただ、感激のあまりその人の手を取って、ぎゅっと握り締めて必死で訴えた。
「私、昔貴方に助けられた者です! 攫われて閉じ込められた時、貴方に逃がしてもらった内の一人です!」
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